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女性会員からのメッセージ No.38

「自分のライフスタイルに合わせた働き方」

東京大学  辻 佳子

 日本の企業、海外の大学、そして今の職場である日本の大学。自らの積極的な決断が理由ではありませんが、家族の都合に併せて今まで2回の転職を経験してきました。その間、常にフルタイムで働いていた訳ではありません。「自分のライフスタイルに合わせた働き方を選ぶ」、そんな生き方もあるのかな?という私の思いが、少しでも皆様の参考になればと思い、文才のない私ですが今回筆を取らせていただきました。

 大学で修士課程を修了した時点で、その当時、工学系の学生のほとんどが選択した就職の道を選びました。学生時代の専門は、工業化学でしたが、目標デバイスがはっきりしている中で材料研究を行いたいと思い、電機メーカーに就職しました。電子デバイス・回路についての知識は入社してから習得しました。5年5ヶ月というそれほど長くない勤続年数ですが、液晶ディスプレイの高効率化・低コスト化のための材料開発およびプロセス開発を行い、自分で開発した材料が実際の製品に採用されるという達成感も経験しました。その間、結婚・出産もしました。

 当時の勤務先は女性比率が全社的には3割程度、研究所でも1割程度と、その当時にしては非常に高く、女性研究者が結婚・出産後も勤務するのは自然だったのですが、偶然にも所属部署では私がはじめての女性既婚者・出産経験者となりました。

 つまり、上司も事務の方も、今まで経験したことのない状況となったわけですが、人々の好意的な考え方と行動により、不安な思いをすることなく過ごすことが出来ました。また、「辻さんの時は色々分からないことだらけだったけど、この経験を今後に生かすことができる」とおっしゃっていただき、心温まる思いをしました。

 仕事が事業化の手前だったこともあり、育児休暇を1ヶ月だけとって仕事に復帰しようとしたところ、子供の風邪がきっかけで私本人が体調を崩してしまいました。「育児休暇という制度を十分に活用して、きちんと復帰しなさい」という上司の言葉に励まされ、もう1ヶ月育児休暇を延長し、また、子供もベビーシッターと母に自宅まで来てもらい面倒を見てもらうというスタイルで復職しました。休職中も職場の上司から進捗の知らせを頂き(当時メールは普及しておらず、電話でした)、そのお陰で研究・開発内容に遅れることなく復職できたのだと思います。
 

 順調な復職の後、別の企業に勤めている主人の米国留学が決定し、私は、迷わず米国行きを決めました。家族が国境を越えて離れるのはイヤだという思いと、アメリカで暮らしてみたいという気持ちからでしたが、後者の理由は上司に怒られました。残念ながら休職は認められませんでしたが、自分の中では決定事項だったことを曲げてまで会社に留まるという選択肢はあり得なかったので、自己都合退職しました。

 特に米国での就職先や留学先を決める時間もなく、「まあ、行ってから状況を見て決めればいいや!」と思い、専業主婦として(J2ビザで)渡米しました。生活を立ち上げ、息子のpreschool(=日本の幼稚園に該当)を決めて、いざ就職活動。米国では母親が働くことが普通だったので、day care center(=日本の保育園に該当)でなくても、preschoolのextended care(=日本の延長保育に該当)で全く問題なく、米国で主人が所属していた研究室のボスのアドバイスもあって、教会の中にあるpreschoolを選びました。

 主人と同じ大学であるCalifornia Institute of Technology (caltech)内でのポストを捜しはじめたとき、主人の知り合いの紹介により、Electrical Engineeringで研究を継続させていただくチャンスに巡り会いました。就労が認められるビザで渡米していなかったのですが、勤務先が決まると大学内のimmigration officeの担当者が手続きの手伝いをしてくださり、数週間後にはwork authorization cardというものが移民局から発行してもらえ、普通に働くことができました。

 このとき、ボスからは、「君は学位を持っていないけど、企業での経験があるのでフルタイムならポスドクとして、パートタイムならresearch engineering associateとして採用するが、どちらがよいか?」という選択肢を与えられました。

 自分の研究進捗やキャリアとしてはポスドクにしていただく方が良いことは明らかでしたが、息子の通っているpreschoolでのボランティアをはじめとした米国の文化に触れながらの子育てをしたかったので、このときも迷わずパートタイムとしての研究継続を選択しました。職住近接だったので、自分の都合に併せて、夕食後に実験の続きをしに大学に戻り、実験が忙しいときは毎日研究室に行くといったフレキシブルな研究生活ができたお陰で、無理なく、非常に楽しく米国での3年間を過ごすことができました。

 また、米国と日本の大学の制度の違いを知り、産学官の「学」で生きていく道を選択した今も、冷静に事態を把握することができていると思います。


 日本への帰国の際にも、生活立ち上げの目途が立ってからの就職活動でしたが、留学を機会に知り合いになった先生から、「日本人のポスドクが欲しかったので、週3回勤務のプロジェクト研究員として来て良い」とおっしゃってくださる先生をご紹介いただき、学科は違うものの学生時代に過ごした建物に舞い戻ってくることができました。

 プロジェクト関連の仕事以外にも、自分の専門を活かした研究を継続させていただき、学位まで取得させていただきました。「フルタイムで働きたくなったら言うように」とボスから言われていましたが、気持ちに余裕を持って研究生活を継続させることを優先させていただきました。

 また、自分一人だけの仕事スタイルの満足度を追求するのではなく、家族の総和としての満足度を求めることに努めるようにしました。子供が小学校を卒業する時期と私の学位取得が同時だったので、それを機にフルタイムで勤務することにし、現在に至っております。

 このように、私の大学でのキャリアは他の方より高齢になってから始まっており、そのためのリスク、例えばポストや若手対象の競争的資金への応募の年齢制限、にも遭遇していますが、自分なりの精一杯の生き方をしてきたと思っています。ある時期遅れたからと言って、それは人生のほんの一時期に過ぎません。


 研究目標を高く持つことは良いことですが、ライフスタイルとして無理が大きすぎると自分自身も不幸ですし、結局周囲に迷惑をかけることになると思います。しかし、全く研究から離れてしまう時期があると、研究者として生きていく上で、研究分野での時代の流れについていけなくなる恐れがあり、復帰できたとしても相当な苦労することになるのでは?と思います。

 どの程度を限度と感じるかは人それぞれですから、その人にあった、その家族にあった生き方をしていけば良いのでは、と思います。私は、とにかく細々とでも現役の研究者を継続することに重点を置き、再度フルパワーで仕事が出来る時期をうかがってきました。

 社会も多様な生き方を徐々に認めてくれるようになっているのではないでしょうか?ライフスタイルとして無理が大きすぎない範囲で精一杯がんばっていけばきっと良い将来が見えてくると思っています。今後もまだまだ長く続いている将来に向かってがんばっていこうと思いながら過ごしている今日この頃です。


 

【執筆者の紹介】














 (研究室で真空チャンバーと執筆者)

辻 佳子 氏

<最終学歴>
東京大学大学院工学系研究科工業化学専攻 
                      修士課程 修了
<学位/論文博士> 
東京大学大学院工学系研究科化学システム工学専攻

<職 歴>
株式会社東芝 研究開発センター → 
    California Institute of Technology → 
       東京大学大学院工学系研究科 助教(現在)
 

(2007.11 掲載)