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自分なりのライフスタイルで!
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独立行政法人 理化学研究所 中尾 愛子
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5時55分、携帯から流れる「平井 堅」の歌で私は目を覚まします。私の一日は、娘のお弁当作りから始まります。それから朝食の準備をして6時15分に娘を起こし、6時50分に娘を無事送り出して、一息です。それから、夫を起こし、朝食をとり出勤です。職場へ向かう車の中で、私は、母から研究者に変身します。
現在、私は、理化学研究所ビームアプリケーションチームで仕事をしています。私の仕事での相棒は、X線光電子分光装置(XPS)です。かれこれ付き合いは20年になります。その間に機種は3回変わりました。今の装置との付き合いは6年になります。装置の管理、依頼分析、共同研究、自分の研究をそれなりにこなしています。プライベートでは、中学2年生の母親です。男女雇用均等法が施行される前に社会人となり、その後、結婚、転職、出産、親の介護などいろいろと経験しました。子育ては、現在進行中です。いろいろなトラブルにぶつかるたびに、それを何とか乗り越えて、ワーキングマザーを続けています。
1984年に早稲田大学大学院修士課程を終了した私は、4月から外資系の企業に就職しました。まだ、男女雇用均等法が成立する前で、今の方たちには信じられないかもしれませんが、女性というだけで、学部卒の男性の給料よりも1万円低く、しかも、翌年から男女雇用均等法が施行され、1年後輩の女性の方が、給料が高い時期もありました。その差は、すぐには埋まりませんでした。結婚退職金が、自己都合退職金より高かったし、セクハラという言葉もありませんでした。そういう時代でした。私は、企業に6年間勤めましたが、今の職場に転職するきっかけは、「結婚」でした。結婚したというだけで、上司の評価は平均以下に下がりました。評価が給料に反映されたので、ボーナスも、給料も下がりました。全くばかばかしくなり、会社をやめて、弁理士の資格を取ろうと思い、専門学校の資料を取り寄せたりしはじめました。
そんな頃、ある学会誌に今の職場である理化学研究所でXPSの経験者を募集していました。だめもとで応募したら、運良く採用されました。ニーズとシーズが一致した結果です。それまでは、夫と私は職場が全く違う方向で、お互いの職場のほぼ中間点に住んでいましたが、理化学研究所の近くに住んでも夫の通勤時間は1時間でしたので、子供が出来た時の事を考えて、職住接近にしました。結局、これは大正解で、理研に転職して2年後に娘が生まれましたが、妊娠中、つわりがひどいときも、車で15分の通勤距離に助けられました。また、子供を保育園に預けて職場復帰するときも、職住接近というのは非常に良かったです。最初は、年度途中だったので、未認可保育園にいれましたが、公立保育園を選ぶときも5、6箇所から選ぶことが出来ました。光が丘公園に近い、日当たりの良い団地の中の保育園に決め、一年後には、その団地に引越し、家から保育園は3分、職場まで、車で15分という生活パターンができました。
どこの職場もそうでしょうが、外線と内線で電話の鳴り方が違います。娘が3歳ぐらいまでは、外線の電話がなるたびに、保育園からのお呼び出しかと、びくびくしていました。今では、懐かしい思い出です。職住接近のおかげで、娘の急な発熱でも、午前中だけ職場にいき、最低限に必要な仕事を済ませることも出来ましたし、土日に職場に行って、仕事の遅れをカバーする事も容易でした。
会社にいるときは、ほとんど必要を感じなかった「学位」が必要に感じ始めたのも、理研に移ってからです。そうはいっても、全くゼロから研究を始めなければならないので、簡単なものではありませんでした。また、子育てという別の仕事もありました。そこで、自分なりにある目標を立てました。40歳になるまでに(約7年間)学位をとろうという目標です。2000年4月、41歳と2ヶ月でしたが、ほぼ目標どおり学位をとる事ができました。最後の一年は、ほとんど土、日のどちらか出勤していました。平日は、ほとんど当てにできない夫でしたが、週末は娘の相手をしてくれました。そのせいか、中学生になっても、いまだに娘と夫は仲良しです。また、娘も小学生になっていたので、一度家に帰り、食事をさせてから、職場につれてくる事もありました。学位論文をまとめるにあったては、今までこれ以上真剣に勉強した事がないくらい文献を読み勉強しました。もう一度!と言われても二度と同じ事は出来ないと思います。
今は保育園事情も良かったり、ファミリーサポートという制度ができたりしています。一言でワーキングマザーといっても、まわりの環境はさまざまです。親と同居、または親が近くにいて、保育園の送り迎えをしてくれる、出張のときは、親が預かってくれる、親が面倒を見に来てくれる、ベビーシッターに頼む、そういう恵まれた環境で仕事をされている方もいれば、親は遠くに住んでいる、頼れる兄弟もいない、子供がベビーシッターに慣れずにすぐに熱をだしてしまう、という場合もあるでしょう。私の場合は後者でした。親はほとんどあてにできず、人見知りが強い娘でした。ちょっと無理をして、生活スタイルを崩すと、かならず一番弱いところ、つまり娘に来てしまいます。あれも、これもと思っても、結局は歯車が狂ってしまうと何もかもがうまく行かなくなってしまいます。私には私なりの仕事の仕方があるのだと割り切って、今までやってきました。自分には母親という仕事もあるのだから、うまく両立をしなければと自分に言い聞かせていました。そういっても、隣の芝生は青くて青くて、本当に真っ青でした。あせった事もあったし、子供を親に預けて国際会議に行く友人をうらやましいと思った事もありました。しかし、今、改めて振り返ってみると、自分には、このやり方がベストだったのだな!と思っています。
失敗をおそれず行動を起こしてみる(実験なんて、失敗の連続ですよね)、情報を集めて今の問題について、できるだけ良い対処をする(文献を読んで、新しい研究の情報をえるのは普通の事)など、自分が研究をしているという事が、実は、子育てや親の介護の時の判断力や、問題にぶつかった時の解決に役に立っている事が多々あります。また、子育てで必要な忍耐力が、仕事上のトラブル解決に役に立つ時もあります。これは、自分で気づいた部分もあるし、友人から言われて気づいた部分もあります。研究と母親業と全く異種の事を兼任しているのですが、それが、前述のように相乗効果になる場合もあるし、また、弊害もあります。研究も母親業もそれぞれ中途半端にやっているように思えて悩んだ事もありましたし、「お帰りなさい」と迎えられない母であるために、娘につらい思いをさせた事も多々あると思います。しかし、思春期真っ只中の娘が「お母さんが働いているのを誇りに思う」と言ってくれた事があります。その言葉は、子育ての悩みも仕事の悩みも、まさに吹っ飛ぶ言葉でした。
6時、職場から家に向う車の中で、夕食のメニューを考えます。私が母に戻るときです。
夕食を食べながら、娘の話を聞き、一緒に怒ったり、笑ったり、悩んだり、そして一日が終わっていきます。
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「仕事の相棒XPSと私(プーさんのネックストラップは娘からのプレゼント)」
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中尾 愛子(なかお あいこ)氏
独立行政法人 理化学研究所
先端技術開発支援センター
ビームアプリケーションチーム 副チームリーダー
博士(工学)
(最終学歴:
早稲田大学大学院応用化学専攻 修士課程修了)
e-mail address: anakao@riken.jp
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| (2006.2.24 掲載)
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